廃墟の猫


トリックスターと愛車のブログ
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殺意と責任能力

皆さんは死刑制度に賛成ですか?反対ですか?
私は力いっぱい賛成派です。

最近の裁判に関する報道で「母子殺害事件」「幼児誘拐殺人事件」などありましたが、その中身は殺意があった・なかった、責任能力の有無など被害者遺族を侮辱する裁判ではないかと思うのです。

人を殺して殺意があった・なかったの議論が無意味と言いたいのではないのです。
殺意は無くとも犯罪目的で家宅侵入や誘拐などを実行し結果的に殺してしまった場合に、殺意の議論など不毛だと言いたいのです。
脇見運転で人をひき殺すのとは訳が違う。
「人がいるとは思わなかった」「殺すつもりはなかった」などと詭弁を言っても最初から犯罪目的なのだから、厳罰を科す必要があると考えます。
刑の減軽は殺意の有無ではなく、謝罪と反省で判断するべきだと思います。(少しの身上も)
言葉だけの謝罪ではなく、心からの謝罪。

例を挙げるなら、さだまさしの「償い」と言う歌詞のように。
歌詞はここにあります。
この歌詞を読めば刑の減軽など到底無理そうですね。


次に「責任能力の有無」

犯罪を犯した人は刑務所に入って社会復帰のための労働と更生のための懺悔の日々を送り、自分の罪の責任を果たすわけですが、「責任能力がないから無罪」などと片腹痛いです。
自分のミスや失敗の責任を果たすのは人として当たり前の行為。
例に挙げた誘拐事件で「首に手を当てただけ」「悪魔が乗り移った」とか言ってるわけですが、これで責任能力が無いと判断して無罪になり元の生活に戻る?もしくは、施設に入り数年後に社会復帰?
そんなことがまかり通ってしまうのか?

この誘拐殺人事件では殺人を犯しているので(殺意の有無は認めない)最高刑は死刑になります。
そのとき弁護士が「責任能力がない」と無罪を主張して、責任を全うしないまま社会に出て来るのです。

責任が全うできないのなら「自分の命で償え」
たとえ謝罪や反省の弁が無くとも遺族が求めるところはここに尽きるのではないのでしょうか?

狂ったことを発言したり、奇怪な行動を取れば罪がなくなり社会に戻ってこられる。
本当に責任能力のない人が死刑に値する大罪を犯しても、「自分の命」で少しだけ償うことは絶対に可能だと考えます。


加害者の人権を最大限に主張する人もいますが、これらの事件では加害者が被害者の人権を果てしなく蹂躙したのです。
極論を言えば加害者の人権など、被害者が受けた蹂躙以下の扱いでもいいと考えます。
加害者の人権を擁護するより、被害者もしくは遺族の人権救済が先ではないですか?


加害者の人権を最大限に主張する人たちには、中国・北朝鮮・スーダン・ジンバブエ等の人権抑圧国家にも声高に叫んでほしいものです。
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by mikangaumai | 2006-05-19 11:48 | その他
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